資本主義論にまったく新たな視野を提供する本をお届けする。経済思想家・経済学者 にしてギリシャ元財務大臣でもあったヤニス・バルファキスの新著『クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界』だ。
資本主義は、経済成長によって社会に富をもたらす最良の経済制度だというが、現代の許容しがたいほどの格差と貧困の元凶でもあり、そのダークサイドは拡大する一方だ。では、仮にこの忌々しい資本主義が消滅したら、その後の経済社会は、「新たな ユートピア」となるのか、「進化形の共産主義 」になるのか、あるいは誰も見たことのないカタチなのか。その答えを導き出すためにバルファキスが採用した著述スタイルは、なんと「経済SF小説」だった。
物語は、語り手「私(ヤンゴ)」 が、無二の友人だったアイリスの埋葬に立ち会う場面から始まる。時は2035年。アイリスががんで亡くなる直前、「私」 は日記を預かっていた。この中身を書籍にして世の人たちに知らしめてほしい、と。
日記を読んだ「私」は驚愕した。アイリスたちが、「私」の仲間の1人であるコスタのつくり出したマシン「HALPEVAN」によって、「もう一つの世界」につながり、そこで暮らす自分たちの分身と言葉を交わした2025年の記録の一部始終が綴られていたからだ。銀行も株式市場もなく、企業の利益を独占する資本家もいない、テクノ封建主義が行き過ぎた現代社会とはまったくちがう公平な制度の中で、人々は生きていた。
このパラレルワールドへの分岐点は2008年だった。そう、リーマンショックがあった年だ。2011年に「ウォール街を占拠せよ」と叫んだ、強欲な資本家と政治家に対する民衆の抗議活動はほどなく終わったが、「もう一つの世界」では別の発展をたどることになっていたのだ。一体、何が起きてそうなったのか?
では、目の前の常識が根本から覆る物語の旅に出ることにしよう。語り手以外の登場人物は3人+3人。過激なリベラリスト&フェミニストのアイリスと「もう一つの世界」に生きる分身サイリス、元リーマン・ブラザーズのリバタリアンの金融エンジニアにして現代資本主義の申し子イヴァと分身イヴ、ギリシャ・クレタ島出身の天才エンジニアだが大企業に絶望し 世捨て人となったコスタと分身コスティだ。
3人の中で最初に「もう一つの世界」の分身に出会ったのは、パラレルワールドにつながるマシン「HALPEVAN」の開発者であるコスタだった。分身コスティから明かされた、資本主義打倒後の社会は、どのような仕組みで動いているのだろうか。ヒエラルキーのない会社の仕組み、大株主が存在できない社会に続き、今回は国民全員が中央銀行に口座を持つ仕組みをお読みいただこう(資本主義が打倒されるまでの経緯の1回目はこちら、2回目はこちらを!)。
中央銀行が全市民に配当を払う
コスティの世界では、中央銀行は毎月、市民の年齢に応じて一定額を「配当」口座に振り込む。そのおもな原資は企業から国への支払いだ。実のところ、国はあらゆる企業が納める総収入の5パーセントで、全市民に対する社会給付を賄っている。「相続」が赤ん坊の誕生とともにまとめて振り込まれるいっぽう、「配当」は誕生から毎月振り込まれて、赤ん坊が子どもになり、やがて10代を経て成人するまで市民を貧困から守ってくれる。
「配当」のおかげで、市民は貧困に陥る不安が取り除かれるだけでなく、生活保護を受ける際の屈辱もなければ、容赦ない審査や手続きもない。事業活動に関心はないが社会に貴重な貢献をもたらす者に、「配当」は充分な収入を保証する。なかにはその価値を市場が正しく評価できないような、たとえば介護部門や環境保全、非商業的な芸術といった活動も含まれる。「怠惰な生活を送る権利のためにもだよ」コスティが、挑発するようにつけ加えた。
「税金なし、生活保護なし」でも貧困から脱出できる
「配当」の特長のなかでもコスティが特に高く評価していたのは、貧困世帯を永続的に貧困に閉じ込めておくセーフティネットから、彼らを解放することだ。貧困者を搦め捕る「安全網」のかわりに、「配当」は堅固なプラットフォームとして機能する。
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貧しい者や恵まれない者も2本の足で立って、よりよい生活が始められる。若者はいろいろな職種を試すことができ、シュメール時代の陶芸から天体物理学まで、「それじゃ食べていけない」といわれる知識を学ぶこともできる。コスタの世界では当たり前になったギグ・エコノミーのような搾取は、「配当」があるだけで不可能になる。実際、ギグ・エコノミーは、収容所群島ならぬ「ゼロ時間契約群島」を生み出してきた。
これまでさまざまなタイプのベーシックインカムが提案され、そのうちの多くが1970年代以降に登場したことは、コスタも知っていた。だが、コスタはどの案にもあまり賛成ではなかった。多くの左派と同じように彼もまた、怠惰に暮らす権利は基本的にブルジョア階級のものだと考えていた。とはいえ、コスタの最大の懸念は、勤勉なプロレタリア階級の税金を、一日中テレビの前に座って過ごす怠け者のために使えば、社会の分断を招くだけではないか、という点にあった。「労働者階級の連帯とは対極を成す」と、コスタは言った。
「だけど、君は忘れてるんじゃないか。ここでは誰も所得税も消費税も支払わない。『配当』とは、社会の資本を共同所有する全市民に対するリターンなんだよ」
確かにコスタはその点を見落としていた。実際、「配当」に対するコスタの評価が急上昇したのは、コスティの世界には税金がふたつしかないと彼が説明した時だった。つまり法人税と土地税だけだ。所得税はない。売上税も付加価値税もない。収入に対して誰も税金を支払わない。財かサービスかを問わず、なにを購入しようと誰も国に1ペニーも支払わない。
コスタにはすぐに理解しがたかった。だが、いったん合点がいくと「配当」は実に理にかなっていた。そこには、1970~80年代に提案されたベーシックインカムとは明らかな違いがあったのだ。つまり「配当」の原資は税金ではなかった。コスティの世界の「配当」とは、市民が集団的に生産する資本ストックの共同所有者として、市民一人ひとりが受け取る「本来の配当」だったのだ。たとえ彼らのしていることが、一般的には仕事と認めがたいものであっても、やはり市民全員に受け取る権利があった。
稼ぐだけ稼いで配当を払わないのがビッグテック
オーストリアの哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、驚くような名言を残している。「私的言語は成り立たない」。本来、言語は集団的にしか生み出されない。アイリスはよく、富もまた同じだと指摘した。資本主義者と不労所得収入者が喧伝した「富は個人が生み出し、徴税を通して国が集産化する」という通説とは完全に矛盾し、「富は言語と同じく集団的にしか生み出されない」とアイリスは主張したのだ。そして「その後初めて、私物化する権力を持つ者によって私物化される」。
その考えを敷衍するためにアイリスは、近代以前の資本のかたちを例に挙げた。農地や作物のタネといった資本は、数世代にわたる小作農の労働によって集団的に発達し、それを地主が占有した。今日、アップルやサムスン、グーグル、マイクロソフトのデバイスが基盤とするインフラや部品はもともと、政府の助成金を使って開発するか、共有のアイデアを利用することで可能になったものだ。共有のアイデアは、民話や民謡と同じように社会のなかで発達した。
社会的に生み出されたそれらの資本を、ビッグテックはなにもかも貪欲に占有し、しかもその過程で莫大なカネを稼ぎながら、社会にはなんの配当も支払ってこなかった。それどころか、私たちがグーグルで検索するたび、アプリを使ってフェイスブックのなかを見てまわるたび、インスタグラムに写真を投稿するたびに、そのデータによってビッグテックの資本ストックが増大する。配当をすべて搔き集めているのは、いったい誰なのだ?
この問題の解決策として、コスタが長く考えていた方法がふたつあった。ひとつは、ビッグテックの課税率を引き上げる。もっと過激なふたつ目は、グーグルなどのビッグテックをいっそ国営化する。だがコスティの説明を聞いたいま、「配当」は徴税や国営化よりもはるかに優れた方法に思えた。資本ストックに対するリターンを共有する権利が、誰の手にも入るのだ。
企業の資本はそもそも市民の共同投資であり、企業活動はその上に成り立っている。リターンは共同投資の反映にすぎない。そして、それぞれの企業がそのようなかたちで社会に負う社会資本の量を、正確に弾き出すのは不可能であるため、企業の収入から社会に還元する割合を決める唯一の方法は、民主的な決定ということになる。すなわち法的ルールによって、企業収入の一部(コスティの会社の場合は5パーセント)が自動的に中央銀行に徴収される。それを原資として、一部が赤ん坊全員の「相続」と市民全員の「配当」として振り込まれる。コスティや彼の同僚が企業収入の一部を基本給のかたちで平等に分け合うように、社会もまた企業の資本配当の一部を、基本所得(ベーシックインカム)のかたちで平等に分け合うのだ。
なんてすばらしいアイデアなんだ! コスタは感心した。本能的な懐疑心は、この時点でほとんど払拭されていた。とはいえ、疑問は尽きなかった。株式市場を通じた投資がなく、起業にあたって資金調達ができないのなら、コスティが勤めるような会社はどうやって創業されたのか。そして、もしコスティが会社を辞めて、新たな就職先を探す時にはどうするのか? まったくの手ぶらで会社を去るはめになるのだろうか。
株式市場がない世界
事業には人材と資源が必要だ。コスティの世界の新規採用システムには、確かに自発性や民主的な特徴はあるにせよ、コスタの世界のシステムとさほど大きな違いはない。ところが、資源の配分においては著しい違いがあった。
コスタが労働市場から自分を解放する前、彼が勤めた会社はどこも、企業に対する忠誠心を示す踏み絵として、事実上、自社株の購入を迫った。そして入社すると、実際に株式購入選択権を提示された。これは、あらかじめ定めた低価格で自社株を購入できる、合法的だが取り消しの利く権利だ。取締役や従業員を裕福にする強力なツールである反面、懲罰的な仕掛けでもある。おいしそうなニンジンを鼻先にぶらさげておいて、上司が絶妙なタイミングでその餌を引っ込めることもできる。
いっぽう、コスティの世界は対照的だった。コスティは採用が決まったその日に株式を1株、当然のように与えられた。もちろん無料で。なんの条件もなく。学生が図書館のカードを手渡されるか、新入社員がセキュリティ用の社員証を支給されるように。企業の株を余分に購入しようなどという考えは、コスティには思い浮かばなかった。実際、1人1株制度は非常に評判がよく、株を売ったり買ったりするという考えは、議決権か愛する赤ん坊を売買するのと同じくらい言語道断なものだった。
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それに対して、コスタの世界では株式市場を通じて、個人の銀行口座のものであれ、大きな年金基金のものであれ、保有資産を投資に活用でき、その重要なメカニズムを使って企業が生まれ、大きく成長できた。だが株式市場がないコスティの世界では、どうやって保有資産を活用するのだろうか。企業はどうやって資金調達するのか。蓄えたおカネが投資にまわる仕組みは? 労働者が働いて生み出したおカネは、どのように新たな機械類に、新たな生産手段に生まれ変わるのだろうか。
「個人のパーキャプ口座から、企業に直接貸し付けるんだ」コスティが言った。
基本給と「配当」で生活し「積立」を企業に貸す
コスティは採用が決まると、彼のパーキャプ口座の資産を企業に貸し付けてはどうかと持ちかけられた。コスティに企業の所有権は購入できない。だが企業に、それも特に自分が働く企業に貸し付けることはでき、また積極的にそう勧められる。新しく働く会社に貸し付ける動機は、次のふたつからだ。
まずは相互の関係性を深めるため。もうひとつはより実際的な話であり、もし自社で働く者から貸し付けを受けないならば、企業は赤の他人の貸し付けに頼らなければならず、下手をすると、リスクと金利の高いプレミアム貸し付けを利用しなければならないからだ。もちろん新卒のパーキャプ口座の「積立」に、なにほどの残高があるわけではない。だが「相続」から貸し付けることもできた。この世に生まれるとともに社会が用意してくれた資金を、初めて活用する機会というわけだ。
よその企業に貸し付けることもでき、コスティもその方法を選んだ。コスティは長年、基本給と「配当」だけで生計を立て、「積立」に振り込まれたボーナスには手をつけず、その分を複数の企業に貸し付けてきた。コスティが選んだのは、製品やサービスを幅広い地域社会に提供している企業だった。支援の必要があるとコスティが感じた企業であり、コスティは利息を受け取った。会社を辞める時には、自分のパーキャプをそのまま「持ち運ぶ」ことができ、転職先の企業に貸し付けることも可能だった。そのような単純な貯蓄の自由市場を介して、企業は市民のパーキャプ口座を活用でき、市民のほうでも流動性の高い市場にアクセスして、パーキャプの残高をうまく運用できた。
それでは、会社を辞める時にはどうするのか。それについては極めてシンプルだ。仕事を終了して、パーキャプとともに会社を去る。解雇の場合はもちろんもっと痛みを伴う。新人を募集する際には、誰でもほかのメンバーを招いて即席の人事委員会を設置した。それと同じように解雇の場合にも、誰でも調査委員会を設置して、業績が悪いか不正行為の疑われる同僚を追放するかどうかを検討する。調査委員会はあらゆる関係者から話を聞いたあとで、完全に透明性の保たれた状況でその頭の痛い問題について審議し、全員の投票で決定を下す。

この世に誕生すると同時にパーキャプ口座が与えられるおかげで、いろいろなことが容易になる。企業に入る際にも離職の際にもパーキャプは持ち運べる。自分の意志で辞めた時でも解雇された時でも、企業には高額の退職金や補償金を支払う法的な義務はない。もちろんコスティの貢献を認めた場合か、解雇に伴う不快感を慰めるために、同僚が彼らの基本給かボーナスの一部を慰労金のようなかたちで、コスティに譲るよう可決することは可能だ。だがそうでないなら、コスティはただ自分のパーキャプとともに会社を去る。
パートナーと仲違いした時は入札で会社所有者を決める
コスティは限られた行数のなかで、会社法の重要なふたつの特徴について教えてくれた。ひとつは、小規模の法人かパートナーシップを解消する際の手続きについてだ。ふたりのパートナー(共同経営者)が仲違いして、お互い目も合わせなくなった時、過半数の投票を行なっても、どちらが会社を所有し、どちらが辞めるのかを決定できない。そこでその場合は、シュートアウト条項を用いる。
具体的に言えば、自分がその企業を引き続き所有する際の金額を書き入れた紙を封印して、双方が提出する。その際、入札額の高かったほうが企業を所有することになる。しかしながら、その者は落札額と同額を、みずからのパーキャプから企業に貸し付けなければならず、落札額に応じて国税も支払う。シュートアウト条項は、その会社の債務返済能力と社会貢献能力をより高く評価するパートナーのほうが、引き続き会社を所有するようにつくられている。
そして、コスティが詳しく教えてくれた会社法のふたつ目の特徴は、コスタの懸念に充分に応えるものだった。すなわち、企業は自社で働く者以外─消費者、地域社会、社会全体─の利益をどう考えているのか。(翻訳/江口泰子)